日本建国通史

日本の建国について、4次元俯瞰という考え方を使って考察します。

025 弥生時代7 中期~

 水田による稲作は極めて高度な技術や知識を必要とするだけでなく、多くの人々の分業や組織的な対応によってさらに生産性を向上させることができます。生産性の向上が人口の増加を引き起こすことになり、国力を拡大させます。正の連鎖が生じます。富国に続いて、次は強兵へと進みます。

 徐福革命によってもたらされたものは、水田稲作技術、鉄を含む金属精錬技術、養蚕技術などですが、当然のことながら文字も伝えられています。しかしながら、文献資料という形では当時のものは残っていません。漢字は西暦285年に百済から渡来した王仁によって伝えられたことになっていますが、日本書紀編纂時のこじつけです。吉野ヶ里遺跡で発見された銅鏡や弥生式土器などにも文字が刻まれています。仏教と違って漢字は大袈裟に伝えられたのではなく、徐福集団を含め中国から渡来してきた人々と共に、一緒に伝来したのです。中国への遣使が丁重にもてなされたということや、中世から近代において日本人の識字率が極めて高いということも、そのことが背景にあります。

 さて、このあたりで当時のアジア・ヨーロッパの全体的な状況を俯瞰しておきましょう。中国はどうでしょうか。始皇帝によって怒涛の如く版図を広げた秦は、彼の死後急速に衰退して、再び混乱している様子が見えます。二つの勢力が台頭してきて、激しくぶつかっています。項羽が率いる楚と、劉邦が率いる漢とが覇権を争っています。匈奴など、秦によって北に追いやられていた勢力も、機をうかがって南下してきています。結局、四面楚歌の中で項羽が破れ、劉邦が中国を統一しました。紀元前202年のことです。都の置かれた長安は大都市への一歩を踏み出しています。地中海ではローマ帝国が産声をあげたころです。

 漢は、紀元前108年以降、朝鮮半島にも進出して楽浪郡などを設置します。同じように中国からの難民が移り住んだ朝鮮半島と日本の歴史に、時差が生じました。日本列島は、まだまだ数百人の集落が見られる程度ですが、北九州を中心に人口が急増し数千人あるいは万を超える規模の集団が現れるのは少し後のことです。漢書「地理史」に見られる百余国とはほぼこのような集落のことです。その中でいくつかの国は楽浪郡と行き来していますが、会話が成立する背景についてはすでに説明した通りです。

 一方このころ、朝鮮半島北部では北方系の民族が結集して高句麗が建国されています。高麗とも呼ばれて現在のコリアに通じる名称ですが、漢など中国と一戦を交えるほどの国力を有しています。

 さて、日本史において、弥生時代の後期から大和朝廷の統一というあたりが最も謎めいていて、歴史学者だけでなく、素人も興味がそそられる時代であると言えます。なぜ謎めいているのか、その理由ははっきりしています。正史と言われている古事記日本書紀が、藤原氏によって創作されたからです。朝鮮半島の混乱から逃れてきた王族の藤原氏が、7世紀から8世紀にかけて日本国建設を果たして、その経緯をまとめたものが日本書紀です。

 しかしながら、完全に創作したわけではありません。いくつかの点で、巧みに整合性を計っています。藤原氏が渡来するはるか昔に、中国各地から日本に渡って来た勢力が、数万人規模の大集落を築いていました。彼らは高度な文化、独自の歴史を有していました。また、東北地方や内陸には縄文人の大規模集落もありました。彼らのことを無視して、国家建設の話を創作することはできません。また、最も注意を払ったのは、中国の歴史書です。もちろん、藤原氏は元々それらの歴史書に精通していました。古事記日本書紀は完全なフィクションではありませんが、改竄隠蔽された歴史についてはしっかり見ておく必要があります。

 弥生時代のことは、日本の正史では完全に封印されていますが、弥生中期には北九州を中心に原始的な都市がいくつも存在しています。ほとんどは、徐福など中国揚子江河口から渡来した人々の末裔です。私たちは弥生人と称しています。ごく一部において祖国中国との交流があります。後漢書には、漢の安帝が紀元57年に奴国(あるいは倭奴)の国王に金印を授与したことが記されていますが、そのことはすでに触れました。107年には、倭国王帥升(すいしょう)が後漢朝貢したことが記されています。彼は奴国の王ですが、近隣諸国を含めて倭国と称しています。奴国は漢のお墨付きを得て強大となり、それら近隣諸国を併合したのです。

 同じころ、中国では漢が内乱により急速に衰えて、魏呉蜀が天下を三分する三国時代に突入します。朝鮮半島も、高句麗新羅百済三国時代が始まります。弥生時代は1000年足らずの期間ですが、4次元俯瞰するとたいへん重要で激動の時代ということが分かります。残念ながら文献史料は日本には無く、わずかに中国の史書に断片が記されているだけです。次は、少し寄り道して、弥生後期の最大の謎、邪馬台国の秘密を俯瞰します。

 ・・・つづく