日本建国通史

日本の建国について、4次元俯瞰という考え方を使って考察します。

029 弥生時代11 邪馬台国4

 248年に卑弥呼が死んだあと邪馬台国はしばらく内乱状態にありましたが、卑弥呼の養女で天才少女だった台与(トヨ)が女王となって、再び国力を浮上させることになります。台与の率いる邪馬台国は、南に位置する狗奴国からの侵略を食い止めると共に、北への進出を果たしています。後に豊前、豊後と称されるあたりで、当時のトヨ国です。さて、3世紀末からしばらくの間日本の歴史は中国の史書に記載がありません。もちろん日本にも当時を記す歴史書はないので、空白の世紀と呼ばれています。でも、心配はいりません。4次元俯瞰によってしっかりと見ることができます。なかなかダイナミックな動きをしています。

 日本は難民国家だということが明らかになっていますが、これまでは、徐福革命などによって中国南方からの難民が主力でした。各地に多くの子孫が生活しています。ところが、このころになると朝鮮半島からの難民、移民が急増します。また、朝鮮半島と行き来する倭人も増えます。朝鮮半島は、日本以上に中国の影響を強くうけますので、ちょっとよく見てみましょう。

 北の大国高句麗は北方系の民族の流れもあり、やや文化を異にします。騎馬民族として強い武力を持っています。漢の出先機関であった楽浪郡は、漢の衰退に伴って混迷し、その後帯方郡と共に魏によって接収されました。卑弥呼は魏の帯方郡に使者を送っていますね。中国は魏呉蜀の三国時代を経て、一時晋によって統一されますが、束の間、五胡十六国南北朝といった混乱が続きます。この混乱は、581年隋による統一まで続くのですが、その間、朝鮮半島は独立の機運が高まります。

 高句麗に続いて百済新羅が建国されて、三国の微妙なバランスが保たれることになります。南端には、北九州からやって来た倭人の住む地域もあります。一方、北部九州は倭国と称されていますが、国としての統治機構が整っているということではなく、大規模集落の集合体です。国という概念そのものがありません。日本では軍事力を背景とした国家権力というものは自然発生的には生まれていません。朝鮮半島から逃れてきたり、あるいは進出してきた支配勢力、主として王族や豪族ですが、彼らによって移入されました。4世紀に入ってのことですが、いよいよ日本国の最初の鼓動が始まったと言えるでしょう。

 倭という字が当時どのように発音されていたかは分かりませんが、倭から大倭になり、更に大和へと書き変えられます。ここまでは発音には変化はありません。ところが、日本書紀を編纂する過程で邪馬台国と大和とを関係づけようとしたのでしょうか、大和をヤマトと発音する大発明がなされました。4次元俯瞰で見る限り、邪馬台国ヤマト王権とは何ら関係はありませんが、邪馬台国を神話の世界によみがえらせたというのはお見事と言うほかありません。私たちは1300年経っても藤原不比等の術中に嵌っています。

 ・・・つづく