日本建国通史

日本の建国について、4次元俯瞰という考え方を使って考察します。

031 三国時代(中国)1

 日本人および日本国の基礎は弥生時代に造られたことが明らかになりました。中国の春秋戦国時代の戦乱から逃れてきた難民が日本の各地で新天地を開いていきました。中でも、紀元前3世紀に佐賀平野に上陸した徐福集団による水田稲作は大成功を収め、人口が急増しました。彼らは、現在では弥生人と称されています。弥生人の集落は、北九州を中心に全国に拡がっています。紀元前後には、数万人規模の大集落も出現して、中国の史書には小国が分立してると記されています。

 その後北九州で小国間の対立が生じて、2世紀後半には倭国大乱というような状況に至りました。大乱と言っても、言葉のイメージほどのことはありません。集落間の諍いが絶えない状況という感じです。

 中国は、秦が滅んだあと劉邦率いる漢によって統一されました。漢では様々な改革が実行されて、中央集権体制が確立していきます。楽浪郡を設置するなどして朝鮮半島の北部を支配下に治めます。北方の遊牧民族匈奴などとのヒッチはあるものの、中原つまり中華を中心に国内的には安定します。一時新の建国などにより乱れますが、紀元25年には後漢が再興されます。建国間もない高句麗朝貢し、57年に倭奴国朝貢します。この時、例の金印が授与されます。107年には倭国王師升が朝貢しています。

 前漢後漢の400年間は、日本はたいへん重要な時機に差し掛かっていたと言えます。漢が内向きで外征に消極的なこともあって、この弥生時代中期に大きな外圧が無かったことは極めてラッキーなことでした。弥生時代に続いて、教科書的には古墳時代ということになります。実は、古墳時代の遺跡は山のようにありますが、どんな時代だったのかさっぱり分かっていません。もう一度4次元俯瞰で国の成り立ちをしっかり見る必要があります。

 そこで少し遠くから、視野を広げて、中国大陸を見ていきましょう。2008年に封切られた映画「レッドクリフ」は壮大なスケールで制作されて大ヒットしました。米・中・日・台湾・韓国の合作です。映画では、西暦208年に長江の赤壁で繰り広げられた魏呉蜀三軍の戦闘が描かれています。曹操率いる80万の魏軍に対抗して、蜀の軍師諸葛孔明は同じく魏に降伏を迫られている呉と同盟を結びます。劣勢だった呉蜀連合軍が魏軍に勝利しました。「三国志演義」の“赤壁の戦い”です。ここから4次元俯瞰していてもハラハラドキドキです。

 この赤壁の戦いの激震は、百年単位の波長を伴う大きな波紋となって、中国内にとどまらず、朝鮮半島を経由して北九州から瀬戸内海へ、あるいは日本海から出雲北陸へと伝わっていきます。そして畿内に到達して大和朝廷の誕生までドラマチックな歴史の展開を見ることができます。先を急がず、漢の末期に目を移しましょう。すでに疫病などで体力を失っていた漢は急速に衰え、220年にあっけなく滅亡します。中国は、魏呉蜀三国が鼎立する三国時代に突入していきます。

 ・・・つづく