日本建国通史

日本の建国について、4次元俯瞰という考え方を使って考察します。

032 三国時代(中国)2

 三国鼎立(ていりつ)ということは、戦国時代のように闘いに明け暮れるということではありません。漢の時代に成立していた周辺地域との安定した関係は、赤壁の激震によって一気に崩れていきます。特に、朝鮮半島が大きな影響を受けることになりました。三国はそれぞれ直接対決を避け、中国の歴史上初めて周辺地域との本格的な外交関係が模索されることになりました。もちろん、三国の中で少しでも優位を確立しようということです。

 周囲を見渡すと、まだまだ小国が分立した状況です。国と言っても数万人規模の大集落がほとんどで、実態は部族国群です。西に目をやると砂漠地帯が広がりオアシス都市国家が点在しています。主として蜀が国境を接する地域ですが、大きな脅威は無く安定しています。呉が接する南は、インドや仏教の影響を受けた文明地帯が東南アジアに拡がっています。ベトナムなどは漢の時代から人の往来が盛んで中国文化も浸透していて、呉とも比較的良好な関係にあります。一方、北方は匈奴鮮卑など騎馬民族が自由自在に往来しています。彼らは遊牧民で定住していません。人口は多くはありませんが、馬術や武芸に秀でているため強敵です。接する魏の悩みは尽きません。

 さて、東はどうでしょうか。厳密には北東ですが、遼東半島から朝鮮半島には、すでに漢の時代から楽浪郡などが置かれて中国による統治が始まっていました。倭の奴国には金印を授与するなど関係を築いています。ところが、後漢衰退の間隙を縫って公孫氏がその遺産を引き継ぎ、独立を狙います。一気にややこしくなりました。公孫氏は呉と密約を結ぶなどの工作をしますが、次第に魏の圧力が高まり鎮圧されます。

 魏は更に東へ向かおうとしますが、すでに国家としての体裁を整えつつある高句麗と激しくぶつかります。高句麗は呉に朝貢したりして魏を揺さぶり、外交戦が展開されます。朝鮮半島の南部やその先海を渡ったところの北九州には小国が分立しています。中国の史書には、朝鮮半島南部は馬韓弁韓辰韓、北九州は倭と記されています。それらの地域には、春秋戦国時代や秦の時代から難を逃れてきた人々が多く住んでいます。朝鮮半島の韓族、倭の弥生人は親類のような関係にあります。いずれも部族国家の状況です。高句麗を抑え込めない魏は朝鮮半島西側を南進して、これらの部族国家群との関係構築を図ります。いよいよ赤壁の激震が朝鮮半島から海を渡って来ます。

 ・・・つづく